2016年は、イタリアの旅に出かけた。オーストリア航空でウィーン経由でミラノからはいり、フィレンツェ、ローマ、シエナ、チンクエ・テッレ、コモなどを経てミラノから帰国する、約2週間の旅である。
2016年8月17日、ミラノから列車でフィレンツェへ
ミラノへ飛行機で到着後、列車でフィレンツェに向かう。サンタマリアノヴェッラ駅で降り、すぐ傍のサンタ・マリア・ノヴェッラ(Santa Maria Novella)教会前のホテル(Hotel Santa Maria Novella)に宿泊。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファサードは寄木細工のように美しい。イタリアルネサンスと呼ばれる文芸復興運動が開花して、その盛りを迎えた1460年頃に、貴族ルッチェッライ家により、建築家レオン・バッティスタ・アルベルティに、ファサードの建築が依頼されたとされる。アルベルティは、古いゴシックスタイルの後方部分を、中央バラ窓の左右に付けられた装飾によって完全に隠し、ルネサンス時代を象徴する建築様式を実現した。
2016年8月18日、フィレンツェ(Firenze)市内散策 & スペッロ(Spello)
アルノ(Arno)川を渡り、ピッティ(Pal. Pitti)宮を訪ねる。商人ピッティが建築したルネッサンス期の典型的宮殿で、メディチ家コジモ1世に売却されたとされる。
宮殿2階のパラティーナ美術館には、ラファエロ『大公の聖母(Madonna del Granduca)』、『小椅子の聖母(Madonna della Seggiola)』など、数々の名画が収められている。
彫金細工や宝石の店がぎっしりと立ち並ぶヴェッキオ橋(Ponte Vecchio)を渡ると、ヴェッキオ宮(Palazzo Vecchio)のあるシニョーリオ広場に出る。広場に面したTavola Caldaで軽食、イカのマリネの檸檬添えとペンネアラビアータが美味。
イタリアの美しい村の一つスペッロまで足を延ばした。レンガ造りの家々の軒先には花が飾られていて美しい。街の中心にはサンタマリアマジョレ教会があり、ピントゥリッキオの受胎告知のフレスコがある。
2016年8月19日、フィレンツェ(Firenze)市内散策
今日も、フィレンツェ市内散策。サンロレンツォ(San Lorenzo)教会裏手にあるメディチ家礼拝堂を訪ねた。君主の礼拝堂(la cappella dei Principi)は17世紀にメディチ家が富の象徴として建てた礼拝堂であり、トスカーナ大公家の墓所となっている。色彩豊かな大理石や象嵌細工が見事。メディチ家の丸薬を象った紋章も印象的。
新聖具室(Sacrestia Nuova)にはミケランジェロ作の曙、黄昏、昼、夜の4体の彫像がロレンツォ2世及びジュリアーノの墓に置かれている。
サンロレンツォ教会近くのメディチ・リッカルディ宮(Palazzo Medichi-Riccardi)を訪ねる。三賢王の礼拝堂(Cappella dei Magi)には、ゴッツォリ作の「東方三賢王の礼拝」のフレスコ画があり、見ごたえがある。馬上にはメディチ家ロレンツォ豪華王が描かれている。
同宮殿内のフィリッポリッピの聖母子像も必見。
サンロレンツォ教会、マルテッリ礼拝堂には、フィリッポ・リッピによる受胎告知がある。フランドル絵画の影響を受けた細部の表現が緻密で、ガブリエルの持つ百合の花、マリアの足元にある透き通ったガラスの水差しなどは、彼女の純粋さを表わしているとされているようである。遠近法で描かれた建物や人物像、マリアの衣裳、2人の天使の庶民性など、ルネサンス期の特徴を感じさせる。
サンマルコ美術館(Museo di San Marco)にあるフラ・アンジェリコ(Fra Angelico)による受胎告知(Annunciazione)のフレスコ画は、優美で清純なマリアが見事に表現されており、見逃せない。
また、サンマルコ美術館にはチェッラと呼ばれる小さな祈りの為の部屋があり、各部屋には様々な絵が描かれているが、その中にも、アンジェリコによる受胎告知が描かれていて興味深い。
サンタマリアノヴェッラ教会の中央、主祭壇の上には、ジョットの「キリスト磔刑図」(1290年頃)が架けられているが、ルネサンスの先駆けとなった。
同教会内の「聖母マリアの誕生」の絵は、フィレンツェの上流階級の人物、服装や建物内の様子など、1400年代当時の情景に当てはめて描かれており、ルネサンス期の貴族社会の実際を窺い知ることができて面白い。
サンタマリアノヴェッラ教会内のステンドグラスも非常に緻密で美しい。この上部にも何と受胎告知の光景が描かれていて興味深い。
サンタマリアノヴェッラ教会には現存する世界最古の薬局(Officina Profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella)がある。1221年にフィレンツェに移住してきたドミニコ会修道院サンタ・マリア・フラ・レ・ヴィニェ(Santa Maria Fra Le Vigne )の修道僧たちが薬草を栽培し薬剤を調合していたのが始まり。特に、フランス王家のアンリ2世に嫁ぐカテリーナ・デ・メディチのために考案した「アックア・デッラ・レジーナ(L’acqua della regina)(王妃の水)」は、後の「アクア・ディ・コローニア」(ケルンの水)、即ちオーデコロンの起源となったとされる。
洗礼堂(Battistero San Giovanni)は、ドゥオーモ前にある八角形の建築で、美しい大理石で造られている。11~12世紀の建築で、街の守護聖人聖ジョバンニに捧げられたとされる。
洗礼堂には3つのブロンズの扉があり、南の扉はアンドレア・ピサーノ、北と東の扉はギベルティの作とされる。特に、東の扉はミケランジェロが「天国の門」と讃えた扉。アダムとイブ、カインとアベル、ノア、アブラハムなど旧約聖書の創世記の物語を表現。人物の優美な体や流れるような衣のドレープなどを鋳造ブロンズながら柔らかに表現。洗礼堂の扉の制作者を決めるコンクールでギベルティとブルネッレスキが残り、ブルネッレスキの辞退によりギベルティが指名され制作したのがこの「天国の門」。
洗礼堂のクーポラには、最後の審判などを主題としたビザンチン風のモザイク画が描かれている。
サンタ・マリア・デル・フィオーレは、ドゥオーモとも呼ばれ、かつてのフィレンツェ共和国の宗教の中心的存在で、白、ピンク、グリーンの大理石の幾何学模様で装飾された美しい大聖堂。1296年から172年間の歳月をかけて建設された。
ドゥオーモの大クーポラはブルネッレスキの設計で、クーポラ内側に描かれたヴァザーリ等によるフレスコ画「最後の審判」も必見。
ジョットの設計による鐘楼は高さ85メートルで、デザイン、色彩、繊細なレリーフともに完成された美しさを誇る。その芸術性の高さについては、ダンテが神曲の中でも触れているとされる。
ウッフィツィ美術館(Galleria degli Uffizi)を訪れる。フィレンツェ公国の行政局が置かれていたためにこのように呼ばれているが、メディチ家の財力を結集したルネサンス美術のすべてがここに収蔵されている。
イタリアルネサンス期に描かれたフィリッポリッピの『聖母子と二人の天使(Madonna col Bambino e due angeli)』、聖母は瞳を下に向け、2人の天使に抱かれている幼児キリストの前で祈りながら手を合せている。彼女の柔らかいヴェールと真珠に飾られた髪型、衣装とともに1400年代半ばの優雅さを表現している。聖母が海や山々の見える丘の上の家の窓の椅子に座っている構図はフランドル絵画の影響を受けているとされる。
イタリアルネサンスの巨匠の一人、ラファエロの『鶸(ひわ)の聖母(Madonna del cardellino)』は、1505年から1506年頃の板上の油彩画である。三人の人物、聖母マリア、キリスト、洗礼者ヨハネが幾何学的にほぼ正三角形に配置されている。聖母は典型的な赤と青の衣裳を纏う。赤はキリストの情熱、青は教会を意味する。洗礼者聖ヨハネは手にゴシキヒワを持っており、キリストは鳥に触れるために手を差し伸べている。キリスト磔刑の際、鳥はキリストの頭上を飛び、キリストの荊の冠からとげを取ったが、その時キリストの血の滴が鳥の赤い斑点となったとされる。聖母の手にある本には、「知恵の玉座(Sedes Sapientiae)」と記されているとのことである。
ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生(Nascita di Venere)』は、1485年から1486年にかけて描かれたルネサンス期最盛期を代表する名画である。ギリシアの詩人へシオドスによれば、ヴィーナスは海から生まれ,帆立貝の貝殻に乗って、ゼフュロスとニンフであるフュロスの優しい風を受けてキュプロス島のパフオスに上陸したとされる。季節と時間の女神であるホーラが、花模様の外套を裸身の女神ヴィーナスへと差し出している。神々の中で最も美しいとされるヴィーナスは愛と美と豊穣を象徴する存在であり、その誕生の姿を美しいままに表現している。
ボッティチェリの『春(Primavera)』、春の森に集う古代神話の神々を描いたこの作品は、メディチ家一門のロレンツオ・デイ・ビュルフランチェスコのために描かれたとされ、ルネサンスの春を象徴するような華やかさに満ち溢れている。
向かって右端には春をもたらす西風の神 ゼフュロス、その隣に大地の精フュロス、口から花々を生む。春になり、凍てついた大地に草花が芽生える自然現象を表現している。その左隣には、フュロスが変身した春の女神プリマヴェーラ、花の女神フローラ。その左隣がヴィーナスで、頭上には彼女の息子である愛の神 キューピッドがいる。キューピッドは目隠しをしていて、ヴィーナスの侍女である三美神に愛の矢を射ようとしている。三美神の真ん中の神は左端の伝令神 メルクリウスを見つめている。主人公のヴィーナスを中心に、春に対する喜びやときめきが描かれている。
レオナルド・ダ・ヴィンチとアンドレア・デル・ヴェロッキオの共作とされる『受胎告知(Annunciazione)』は1472年から1475年頃に描かれた。ルカ福音書にある大天使ガブリエルがキリスト受胎を告げるために聖母マリアのもとを訪れた場面が描かれている。ガブリエルが手にしている百合の花は、マリアの処女性とフィレンツェの象徴。レオナルドは、ガブリエルの背中の翼を描くのに飛翔する鳥の翼を模写したとされ、ダヴィンチの科学者らしい一面を覗かせている。なお、この翼は後世の画家によって長く伸びた翼に描き直されたともいわれる。
ヴェッキオ宮殿は、初めはフィレンツェ共和国(トスカーナ公国)の政庁舎として使われ、一時、メディチ家もピッティ宮殿に移るまでここを住居とした。500人広間(Salone dei Chinquecento)には、ヴァザーリとその工房による天井画や壁画で装飾されている。
2016年8月20日、ローマ市内散策
前の晩にフィレンツェからローマに移動。早朝から、ローマ市内を散策。
サンタ・マリア・マッジョーレ(Basilica di Santa Maria Maggiore)は、ローマにあるカトリック教会の聖堂で、教皇が建築させたローマの四大バジリカ(古代ローマ様式の聖堂)の一つ。「偉大なる聖母マリアにささげられた聖堂」の意で、教皇リベリウスがマリアの雪の降るところに建てるようにとのお告げを受け、5世紀に古代キュベレ神の神殿があった場所に築かれた。入口扉にはブロンズ製の聖母マリアの彫像があり、聖母マリアに招かれるようにして教会内に入る。
マジョーレ教会内には、身廊と側廊を隔てる大理石の柱列が並び、主祭壇は天蓋で覆われ、後陣にはマリア戴冠のモザイク画が描かれている。全体的に大理石の美しい荘厳な雰囲気に包まれた教会である。
名家コロンナ家のコレクションを展示しているコロンナ美術館(Galleria Colonna)を訪れた。映画「ローマの休日(Roman Holiday)」の舞台としても有名な大理石造りの重厚な広間は目を見張るほど豪華絢爛である。壁には16~17世紀の絵画や彫像で埋め尽くされていて圧巻である。
バロック期の画家アンニーバレ・カラッチによって1580年代に描かれた『豆を食べる男(Il mangia fagioli)』もここに展示されている。豆を食べる農夫の素朴さと生活感が見事に表現されている。
パンテオン(Pantheon)、紀元前27~25年にかけてアグリッパが創建、118年にハドリアヌス帝が再建。丸天井の天窓から神々しい光が差し込んでいる。ミケランジェロは天使の設計であると称賛。
ヴァティカン(Vatican)のサン・ピエトロ大聖堂(Basilica di San Pietro)に向かう。4世紀に聖ペテロの墓の上にバジリカが建てられたことに始まる。1452年のニコラウス5世による再建の命に基づき、ブラマンテ、サンガッロ、ラファエロ、ミケランジェロらが再建に取り組み、1626年に完成。広場はベルニーニの設計、半円形の回廊にはドーリス式円柱284本が並ぶ。
ミケランジェロ(Michelangelo Buonarroti)の『サン・ピエトロのピエタ(Pieta, Vatican)』(1498~1500年)は「ピエタ」を題材とする作品の中でも第一に挙げられる。古典的な調和、美、抑制というルネサンスの理想の最終到達点ともいうべき完成度を誇り、ミケランジェロの作品の中でもとりわけ洗練され精緻を極めたものとなっている。ミケランジェロは、故郷フィレンツェの政情不安や芸術の中心地ローマへの関心から、1496年以来ローマに滞在していたが、元サン・ドニ修道院長のフランス人枢機卿ジャン・ド・ビレール・ド・ラグロラからピエタの制作を依頼されたとされる。
ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)のアテナイの学堂(Scuola di Atene)、ラファエロの間(Stanze di Raffaello)を飾る。ローマ教皇ユリウス2世に仕えた1509年から1510年に描かれた。ルネサンス盛期の古典的精神を見事に具現化 。描かれている人々は古代ギリシアの哲学者達。中央の2人、プラトンは指を天に向け、アリストテレスは掌で地を示すが、プラトンのイデア論、アリストテレスの現実的な哲学を対照的に象徴しているとされる。