琉球王国を象徴する琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)のことを知ったのはつい最近のことである。
既に15世紀頃には存在しており、東南アジアや本土との交易の中で様々な技法を取り入れ、発展させていったとされる。江戸時代には古紅型とよばれるものが栄えたにもかかわらず、明治時代には王府廃止に伴い衰退したとされる。第二次世界大戦により焦土と化した沖縄にあって、王朝時代からの染物業の宗家である城間家、知念家などが紅型復興に努め、今日に至るとされる。
朱、黄、藍などの色の鮮やかな紋様、型染独特の風合いが美しい。もう30年以上も前のことになるが、インドネシアのバティックの美しさに感動したことがある。紅型の、特に藍色の紋様はそれにも似た風合いである。
(参照:首里琉染、wikipedia、NHKドキュメンタリー)