ミラノへ飛行機で到着後、列車でフィレンツェに向かう。サンタマリアノヴェッラ駅で降り、すぐ傍のサンタ・マリア・ノヴェッラ(Santa Maria Novella)教会前のホテル(Hotel Santa Maria Novella)に宿泊。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファサードは寄木細工のように美しい。イタリアルネサンスと呼ばれる文芸復興運動が開花して、その盛りを迎えた1460年頃に、貴族ルッチェッライ家により、建築家レオン・バッティスタ・アルベルティに、ファサードの建築が依頼されたとされる。アルベルティは、古いゴシックスタイルの後方部分を、中央バラ窓の左右に付けられた装飾によって完全に隠し、ルネサンス時代を象徴する建築様式を実現した。
今日も、フィレンツェ市内散策。サンロレンツォ(San Lorenzo)教会裏手にあるメディチ家礼拝堂を訪ねた。君主の礼拝堂(la cappella dei Principi)は17世紀にメディチ家が富の象徴として建てた礼拝堂であり、トスカーナ大公家の墓所となっている。色彩豊かな大理石や象嵌細工が見事。メディチ家の丸薬を象った紋章も印象的。
サンタマリアノヴェッラ教会には現存する世界最古の薬局(Officina Profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella)がある。1221年にフィレンツェに移住してきたドミニコ会修道院サンタ・マリア・フラ・レ・ヴィニェ(Santa Maria Fra Le Vigne )の修道僧たちが薬草を栽培し薬剤を調合していたのが始まり。特に、フランス王家のアンリ2世に嫁ぐカテリーナ・デ・メディチのために考案した「アックア・デッラ・レジーナ(L’acqua della regina)(王妃の水)」は、後の「アクア・ディ・コローニア」(ケルンの水)、即ちオーデコロンの起源となったとされる。
洗礼堂(Battistero San Giovanni)は、ドゥオーモ前にある八角形の建築で、美しい大理石で造られている。11~12世紀の建築で、街の守護聖人聖ジョバンニに捧げられたとされる。
ウッフィツィ美術館(Galleria degli Uffizi)を訪れる。フィレンツェ公国の行政局が置かれていたためにこのように呼ばれているが、メディチ家の財力を結集したルネサンス美術のすべてがここに収蔵されている。
イタリアルネサンス期に描かれたフィリッポリッピの『聖母子と二人の天使(Madonna col Bambino e due angeli)』、聖母は瞳を下に向け、2人の天使に抱かれている幼児キリストの前で祈りながら手を合せている。彼女の柔らかいヴェールと真珠に飾られた髪型、衣装とともに1400年代半ばの優雅さを表現している。聖母が海や山々の見える丘の上の家の窓の椅子に座っている構図はフランドル絵画の影響を受けているとされる。
イタリアルネサンスの巨匠の一人、ラファエロの『鶸(ひわ)の聖母(Madonna del cardellino)』は、1505年から1506年頃の板上の油彩画である。三人の人物、聖母マリア、キリスト、洗礼者ヨハネが幾何学的にほぼ正三角形に配置されている。聖母は典型的な赤と青の衣裳を纏う。赤はキリストの情熱、青は教会を意味する。洗礼者聖ヨハネは手にゴシキヒワを持っており、キリストは鳥に触れるために手を差し伸べている。キリスト磔刑の際、鳥はキリストの頭上を飛び、キリストの荊の冠からとげを取ったが、その時キリストの血の滴が鳥の赤い斑点となったとされる。聖母の手にある本には、「知恵の玉座(SedesSapientiae)」と記されているとのことである。
ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生(Nascita di Venere)』は、1485年から1486年にかけて描かれたルネサンス期最盛期を代表する名画である。ギリシアの詩人へシオドスによれば、ヴィーナスは海から生まれ,帆立貝の貝殻に乗って、ゼフュロスとニンフであるフュロスの優しい風を受けてキュプロス島のパフオスに上陸したとされる。季節と時間の女神であるホーラが、花模様の外套を裸身の女神ヴィーナスへと差し出している。神々の中で最も美しいとされるヴィーナスは愛と美と豊穣を象徴する存在であり、その誕生の姿を美しいままに表現している。
ヴェッキオ宮殿は、初めはフィレンツェ共和国(トスカーナ公国)の政庁舎として使われ、一時、メディチ家もピッティ宮殿に移るまでここを住居とした。500人広間(Salone dei Chinquecento)には、ヴァザーリとその工房による天井画や壁画で装飾されている。
2016年8月20日、ローマ市内散策
前の晩にフィレンツェからローマに移動。早朝から、ローマ市内を散策。
サンタ・マリア・マッジョーレ(Basilica di Santa Maria Maggiore)は、ローマにあるカトリック教会の聖堂で、教皇が建築させたローマの四大バジリカ(古代ローマ様式の聖堂)の一つ。「偉大なる聖母マリアにささげられた聖堂」の意で、教皇リベリウスがマリアの雪の降るところに建てるようにとのお告げを受け、5世紀に古代キュベレ神の神殿があった場所に築かれた。入口扉にはブロンズ製の聖母マリアの彫像があり、聖母マリアに招かれるようにして教会内に入る。
ヴァティカン(Vatican)のサン・ピエトロ大聖堂(Basilica di San Pietro)に向かう。4世紀に聖ペテロの墓の上にバジリカが建てられたことに始まる。1452年のニコラウス5世による再建の命に基づき、ブラマンテ、サンガッロ、ラファエロ、ミケランジェロらが再建に取り組み、1626年に完成。広場はベルニーニの設計、半円形の回廊にはドーリス式円柱284本が並ぶ。
ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)のアテナイの学堂(Scuola di Atene)、ラファエロの間(Stanze di Raffaello)を飾る。ローマ教皇ユリウス2世に仕えた1509年から1510年に描かれた。ルネサンス盛期の古典的精神を見事に具現化。描かれている人々は古代ギリシアの哲学者達。中央の2人、プラトンは指を天に向け、アリストテレスは掌で地を示すが、プラトンのイデア論、アリストテレスの現実的な哲学を対照的に象徴しているとされる。