伊豆箱根湘南風土記(1)久しぶりの鎌倉

久しぶりの鎌倉

外国のお客様をご案内するために久しぶりに鎌倉を訪ねた。

東京でゆっくりと懐石料理を食していたため、横須賀線で鎌倉に到着したのは午後5時に近かった。夏場は鎌倉の大仏様も5時半までは開いているようだったので、タクシーで駆け付けた。鎌倉大仏は鎌倉駅から歩けば20~30分の高徳院境内にある。濃い緑の木々に囲まれた境内に夏の青空を背に10mを越す大仏は大きく気高い表情で座していた。大仏様の前には夏らしく西瓜や葡萄が供えられていた。1238年暦仁元年(嘉禎4年)に造られた大仏は木造だったが、1247年宝治元年(寛元5年)の台風で倒壊し、1252年建長4年に現在の青銅像が鋳造されたとされる。当時は大仏殿に安置されていたが、1495年明応4年の津波で大仏殿が流されてしまい、露座の大仏になったとされる。奈良の大仏が勅命で造られたのに対し、鎌倉大仏は民衆の浄財で造られたといわれるのを知ると、より深く人々の心のよりどころとなったいたのではないかと当時の様子が偲ばれる。

鎌倉大仏を出て、すぐ近くの長谷寺を訪ねた。長谷寺は創建736年、徳道により開山されたとされる。幸いまだ開いていて、更に日が落ちた後には長谷の灯りの催しも予定されているとのことであった。長谷観音の本堂は入り口から苔生した小径を少し昇った処にある。可愛らしい3体の子地蔵が優しく迎えてくれている。本堂は、力強い構えの屋根が幾層にも重なり、また黒白の塗のコントラストが美しい。本堂内、本尊の十一面観音菩薩像は約9mもある大きな像で、木造ではあるが金色の装飾が見事である。夕暮れ時で暑さも和らぎ、また高台にあることもあり、境内には心地よい風が流れていた。寺の脇の見晴台からは夕陽に輝く鎌倉の街並みや海を一望することができた。街の表を湾に囲まれ、また背後を小高い山々に囲まれた鎌倉が日本最初の武家政権の本拠に定められた訳がよくわかる。

鎌倉駅に戻り、若宮大路に出て、段葛の道を通って、鶴岡八幡宮を訪ねた。段葛を歩く頃には夕陽も既に落ち、暗くなりかけていたが、両脇を灯りが連なり、通り道を美しく照らし出していた。段葛を歩み進んで行くと山手方向中央に少し控えめにライトアップされた社が徐々に大きく見えてくる。段葛は、源頼朝が御台所政子の安産を祈願して造らせた参道といわれる。鶴岡八幡宮は1180年、鎌倉入りした頼朝が材木座にあった由比若宮を現在の地に遷座したとされ、源氏の守り神として鎌倉幕府から尊宗された。また、その後も、足利氏、豊臣氏、徳川氏からも篤く崇敬されたとのことである。鶴岡八幡宮は1191年に焼失したが、すぐに若宮(下宮)が再建され、また本宮(上宮)も創建された。現在の若宮は1624年に二代将軍徳川秀忠が、本宮は1828年に十一代将軍徳川家斉が再建造営したとされる。