鎌倉、宝戒寺を訪ねた。周辺には北条家代々の屋敷があったが、1333年、新田義貞による鎌倉攻めにより北条一族は滅び、邸も焼かれたとされる。その3年後、一族の霊を弔うために後醍醐天皇が足利尊氏に命じて、邸跡に宝戒寺を建立した。本堂には、本尊子育経読地蔵大菩薩像、唐仏地蔵尊などが安置されているほか、毘沙門天像が祀られている。毘沙門天は仏教の四天王の一人で、病魔退散、財宝富貴の福伸である。
本堂前の梅は枝ぶりが力強く、また花も見事に咲いていた。
境内の椿も見ごろである。秋の彼岸頃には、萩や白彼岸花が咲き誇るとのことである。
寺裏の南東の山手を少し昇った所に、新田義貞の鎌倉攻めにより滅んだ最後の執権北条高時ら一族八百七十余名が自害したとされる腹切りやぐらがある。凄惨な最期が偲ばれる場所であった。
(かまくら春秋社『鎌倉の寺小辞典』参照)