1225年、北条政子は頼朝の菩提寺として祇園山長楽寺を建立したが、同年死去。その後、長楽寺は鎌倉幕府滅亡とともに焼け落ち、善導寺と一つになったが、1680年に再び全焼。頼朝に仕えた田代信綱による田代寺観音堂を移設して、安養院として再建。
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伊豆箱根湘南風土記(25)鎌倉 元八幡
由比若宮は、前九年の役で奥州を鎮定した源頼義が、1063年、源氏の守り神である岩清水八幡宮を由比郷に勧請したことに始まる。元八幡とも呼ばれる。1081年には、源義家が修復。源頼朝が現在の北山にある鶴岡八幡宮に遷した。
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伊豆箱根湘南風土記(24)鎌倉 本覚寺
本覚寺は、日出が1436年に創建。2代目日朝は、身延山久遠寺の住持となり、日蓮の遺骨を本覚寺に分骨、「東身延」と呼ばれる。日朝は、眼病を治す「日朝さま」の愛称で親しまれている。
伊豆箱根湘南風土記(23)鎌倉 妙隆寺
妙隆寺は、鎌倉幕府有力御家人千葉氏の子孫が祖先追福のため1385年に建立、開山は中山法華経寺の日英上人。
第2代日親上人は、6代将軍足利義教に「立正治国論」を建白しようとしたが、鍋かむりの拷問を受け、それでも主張を曲げなかったとされる。
境内には七福神の一人、長寿延命の寿老人像が置かれている。欅一木造りとされる。
(かまくら春秋社『鎌倉の寺小辞典』参照)
伊豆箱根湘南風土記(22)鎌倉 瑞泉寺
瑞泉寺は1327年夢窓疎石が開山。初代関東管領足利基氏以後、鎌倉公方代々の菩提寺となる。本堂の屋根の稜線が美しく、裏山を背景に、品格高い佇まいである。梅が見事。
中央に釈迦牟尼像、向かって左手には徳川光圀寄進による千手観音像、右手には夢窓疎石像。千手観音像は小柄だが、どっしりとして優美なお顔である。
本堂裏のやぐらを活かした岩庭は夢窓疎石の作。借景を活かした作庭の手法は、京都の天龍寺の庭園にも反映されているといわれる。
(かまくら春秋社『鎌倉の寺小辞典』参照)