よもや?ま話(1)

オンライン業務をしていると様々な顧客と対応することになる。

今日のお客様、説明している途中で居眠りを始めてしまわれた。「もしもし、大丈夫でしょうか?」「はい。」 返事はあるが、途中で何度も寝てしまうお客様は初めて。

OPERA Eugene Onegin

オペラ、エウゲ二・オネーギンを新国立劇場にて観劇した。原作、プーシキン、作曲、チャイコフスキーの作品である。

オネーギン、タチヤーナ、レンスキーらの心の葛藤が興味深く、また日本人の感性、感情に共通するものを感じる。

また、オネーギンは19世紀ロシア文学に現れる『余計者』(知性や教養に恵まれながらも、人生に倦怠感を感じ、貴族社会などの社会環境からの孤立、疎外を感じている人々)を現わしているとされる。ロシアのこのような時代的、社会的背景についても理解を深めることができた。プーシキンのエウゲ二・オネーギンは『ロシア生活の百科事典』ともいわれるが、決闘にも法典があるように儀式として行われていたというのも新発見である。

Tatyana: Ekaterina Siurina, Eugene Onegin: Yuriy Yurchuk, Lensky: Viktor Antipenkoなど好演。舞台芸術も素晴らしい。

伊豆箱根湘南風土記(21)鎌倉 宝戒寺

鎌倉、宝戒寺を訪ねた。周辺には北条家代々の屋敷があったが、1333年、新田義貞による鎌倉攻めにより北条一族は滅び、邸も焼かれたとされる。その3年後、一族の霊を弔うために後醍醐天皇が足利尊氏に命じて、邸跡に宝戒寺を建立した。本堂には、本尊子育経読地蔵大菩薩像、唐仏地蔵尊などが安置されているほか、毘沙門天像が祀られている。毘沙門天は仏教の四天王の一人で、病魔退散、財宝富貴の福伸である。

本堂前の梅は枝ぶりが力強く、また花も見事に咲いていた。

境内の椿も見ごろである。秋の彼岸頃には、萩や白彼岸花が咲き誇るとのことである。

寺裏の南東の山手を少し昇った所に、新田義貞の鎌倉攻めにより滅んだ最後の執権北条高時ら一族八百七十余名が自害したとされる腹切りやぐらがある。凄惨な最期が偲ばれる場所であった。

(かまくら春秋社『鎌倉の寺小辞典』参照)

 

伊豆箱根湘南風土記(20)鎌倉 旗上弁財天

鎌倉、鶴岡八幡宮、源平池の中島にある鎌倉七福神の一つである旗上弁財天を訪ねた。源頼朝が平家滅亡を祈願したとされる弁天社であり、武運長久、大願成就、芸能成就の福神とされる。

弁財天社の奥裏には、『政子石』が置かれている。縁結びの石とされる。

空には、鳶の声が、池には都鳥のような鳥が。。。

伊豆箱根湘南風土記(19)鎌倉 浄智寺

鎌倉の浄智寺を訪ねた。五代執権北条時頼の三男宗政の菩提を弔うため、宗政夫人と息子師時が1281年に創建した鎌倉五山第四位の禅刹とされる。

総門を潜ると唐草模様の鐘楼門がある。

本堂である曇華殿には、過去、現在、未来を示す阿弥陀、釈迦、弥勒の座像が安置されている。

境内の典雅なしだれ梅が目に留まった。

裏手には萱葺きの書院があり、臥龍式の渡り廊下とともに風雅を感じさせる。

マリアとキリスト像なのだろうか。意外な彫像が置かれていた。

右手奥には、七福神の一つ、布袋尊が祀られている。弥勒菩薩の別の姿であるともいわれ、知恵を授け、福徳円満をもたらしてくれる神様であるとされる。実に良いお顔をされていた。

境内には、安藤寛、『結界に降る雨あしは光りつつ、深き杉生のみどりにしづ舞』などの歌碑もある。

境内には、梅のほかにも、牡丹、福寿草、水仙などの花々も美しく咲いていた。

総門手前の石の太鼓橋の傍には、鎌倉十井の一つ、甘露ノ井がある。

(かまくら春秋『鎌倉の寺』参照)