伊豆箱根湘南風土記(17)鎌倉 鏑木清方記念美術館

 

鎌倉小町通りを少し脇に入ったところに近代日本画の巨匠鏑木清方画伯の記念美術館がある。小町通りを僅かに外れるだけで街には静寂が漂っている。美術館があるのは鏑木清方画伯の終焉の地。この美術館の土地建物、作品、資料はご遺族の寄付によるものとのことである。

画伯は明治11年、神田佐久間町に生まれる。父はジャーナリストであるとともに人情本作家。画伯は13歳から水野年方に浮世絵を学ぶととともに、17歳からは父親が経営する「やまと新聞」に挿絵を描き始めた。文学、歌舞伎、オペラなどにも幅広く関心を広げ、泉鏡花や樋口一葉などの文学や庶民生活を題材に数多くの作品を残した。また、画伯は、作品の一つ一つにその作品を描いたときの心情を書き記していて、素晴らしい著作が残されている。自然や庶民の生活に対する繊細な感覚や洞察の細やかさが絵画のみならず清方の『ことば』にも現れている。美術館には、画伯自身の生涯を詳細に記した『こしかたの記』という書籍が置かれていて、大変興味を感じたので、手にはいるようであれば読んでみようと思う。

今回の展示作品では、テーマにある『早春』やアズールなどの顔料で美しく繊細に描かれた『しらうお』など、たくさんの傑作が展示されていた。

骨董の魅力

フランスの蚤の市の様子を伝える番組を見たが、蚤の市には貴重な骨董がたくさん眠っているようだ。とは言っても骨董探しには、それを見出す眼力と見識が必要である。リヨンの絹織物は18世紀中頃、フランス革命前の王室によって支えられ発展し、特に王室画家フランソワ・ブシェ等の素描をモチーフにして金糸、銀糸で織られたタピストリーなどは極めて貴重なものであることを知る。また、ガラス工芸品も、エミールガレ、ドーム兄弟などのアールヌボー時代の作品、ルネ・ラリック等のアールデコ時代のオパールセントと呼ばれる技法の作品など、各時代の特徴、作風や技術の変化などを理解した上で探してみると大変面白そうである。陶器も、一概にリモージュと言っても、リモージュのカオリンは20世紀中頃には掘り尽くされてしまったため、それ以降は他の産地のカオリンが使用されているとのことであり、それ以前のリモージュに価値ありとされるようだ。また、それ以降でもル・タレックによる絵柄のパリ製のリモージュはまたそれで価値があるようである。他に、ベルナール・ヴィルモのポスターなど、骨董にも様々なジャンルがあり、それぞれに奥が深そうである。知らないことばかりだが、最近訪れたナンシーでガレやドームの作品を見てきたばかりということもあり、骨董への興味が一段と高まった。 

金継ぎ

何故今までこの金継ぎという文化に触れることがなかったのだろう。衝撃的である。わざわざ日本へ金継ぎを習いに来ているあるポーランド人のことが報道されていた。割れたり、欠けたりした器を漆で修復し、仕上げを金や銀で装飾する技術であるが、単に修復技術にとどまるのではなく、そこに新たな芸術を生み出している。ものを大切にすると同時に修復する中にまた新たな美を生み出すこの芸術の奥深さと背景にある哲学に感銘を覚えた。 

琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)

琉球王国を象徴する琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)のことを知ったのはつい最近のことである。

既に15世紀頃には存在しており、東南アジアや本土との交易の中で様々な技法を取り入れ、発展させていったとされる。江戸時代には古紅型とよばれるものが栄えたにもかかわらず、明治時代には王府廃止に伴い衰退したとされる。第二次世界大戦により焦土と化した沖縄にあって、王朝時代からの染物業の宗家である城間家、知念家などが紅型復興に努め、今日に至るとされる。

朱、黄、藍などの色の鮮やかな紋様、型染独特の風合いが美しい。もう30年以上も前のことになるが、インドネシアのバティックの美しさに感動したことがある。紅型の、特に藍色の紋様はそれにも似た風合いである。

(参照:首里琉染、wikipedia、NHKドキュメンタリー)

Batik

もう30年も前に仕事でフィリピンに住む機会があり、その頃インドネシアのバティックに触れた。女性のドレスやテーブルクロスなど、バティックの藍色の紋様を粋に感じたものである。インドネシアのバティックは、しばらく衰退していたものの、2009年にユネスコ世界無形文化遺産に登録されたこともあり、2010年代に復興したとのこと。2013年に亡くなった故ネルソンマンデラも愛好していたため、世界的にも広まったとのことである。 バティックはろうけつ染めで染められた布で、布地に蝋で模様を描き、染料や絵筆で着色する伝統的な技法で、1000年以上の歴史があるとされる。最近のバティックは自分が初めて見て感動したころの風合いとは異なるデザインのものが多いように見受けられるが、それも時代の変化を映しているのかも知れない。(参照:日経新聞2018.8.19)