Giselle

ジゼル(Giselle)を新国立劇場で観た。Giselle 柴山沙帆、Arbrecht 井澤駿。

ストーリーは、既に他の女性と婚約をしていた公国の王子アブレヒトと美しい村娘ジゼルの悲しい恋の物語。

Carlotta Grisi, lithograph 1841

ジゼルは、1841年、パリオペラ座で初演、カルロッタ・グリジのジゼルの優美なバレエが彼女の名声を不動のものにしたとされる。音楽は、アドルフ・アダン。

ジゼルは、パリで生まれ、ロシアで守られ、そして再びヨーロッパで復活したロマンティックバレエ不朽の名作とされる。

今回は、吉田都舞踏芸術監督の演出、Alastair Marriott改訂振付による作品。音楽とバレエの踊りのハーモニーが感動的であった。また、Dick Birdの舞台美術や衣装制作もバレエの美しさを引き立てていた。トウシューズのつま先のみで小刻みに空中浮遊するかのように踊るポワン技法が印象的であり、また10数人の踊り子達の一糸乱れぬ動きが美しかった。

 

学園徒然なるままに(2)~自律あっての自由

多くの学校に、自主、自律、自由といった建学の精神があると思うが、自律あっての自由であることを認識することが重要である。自律のない自由は無秩序である。一方、これを規則で縛ろうとすると、自律性は育たない。そう考えると、自由を謳う前に、まずは自主性、自律性をどう育てるかということが大事であると感じる。これは学びの世界に限らないことでもある。

学園徒然なるままに(1)~音楽の価値の再認識

これまでの人生においても、素人なりに音楽に触れ、エレクトーンやサックスなどの楽器を手にしながら、音楽の素晴らしさを感じながら生きてきたが、偶然にも縁あって音楽学校にやってきた。特に演奏系の専攻者であれば、おそらく朝から晩まで、食事の時間も惜しみながら演奏の練習に没頭していることであろう。自分の好きを貫き、演奏家を目指して励む姿は、自分の学んだ芸術系以外の学校の日常とは全く違った世界である。また、密度の異なる時間が流れている。多くの学生が3歳、4歳の頃から音楽の素晴らしさに目覚め、たゆまぬ努力を重ねてきている。音楽に人生をかける姿は美しいし、それほどに音楽には価値がある。あらゆる芸術について言えることであると考えるが、お金には代えがたい価値である。音楽を学ぶ学生の姿を目近に見ていると、あらためて音楽の、そして芸術の、人間が心豊かに生きていく上でなくてはならない素晴らしさや尊さ、何にも優る偉大なる価値を再認識するところである。

 

サツマイモの収穫

家庭菜園で初めてサツマイモを収穫した。今日収穫したのは、紅ハルカ。

一株目でいきなり大きなサツマイモが掘れたので驚きであった。今年は雨が多く天気の良い日を待っていたら収穫が遅れ、また蔓や葉が大きく伸び過ぎていたので、無事に実るのか心配していたが、何とか立派な芋を収穫することができた。

 

 

伊豆箱根湘南風土記(13)伊豆 願成就院

 

今年は大河ドラマの「鎌倉殿の13人」が人気である。北条時政が源頼朝の奥州征討戦勝を祈念して建立したとされる願成就院を訪ねた。

願成就院に向かう前に昼食を「多賀」という老舗の蕎麦屋さんで蕎麦を美味しくいただいた。築後200年という瓦屋根が美しい店構えで、蕎麦屋としては40年の老舗とのこと。昼時で手入れの行き届いた庭先は順番を待つ客で溢れていた。千両、万両の赤い実が彩りを添え、見上げると胡桃もまだ小さいが実を膨らませていた。蕎麦寿司や帆立の天ぷらなどの珍味を味わった後、海老天蕎麦をいただいた。いずれも美味であった。品出しの手際の良さにも心地よさを感じた。

多賀から頼朝道と呼ばれる山道を抜けて伊豆の国へ。幾百年と変わらぬ景色であると感じさせる杉林、松林、薄が原を過ぎて韮山にある願成就院に着く。瓦屋根を被った木造の門を入ると左手奥に北条時政の墓がある。墓のすぐ脇には「時政のふるさとにのこす露の墓」と詠んだ秋櫻子の句碑がある。入口正面には御堂があり、運慶作の阿弥陀如来坐像など国宝五体が置かれている。当時の北条家の人々と運慶との交わりを窺い知ることができる。御堂左手には住職が居住する現本堂がある。1789年(寛政元年)建立とされるが、伊豆守山の山里の風景に溶け込んだ風情のある萱葺の建物である。洗心庭と名付けられた石庭がある。御堂脇には現代風のユーモア溢れる五百羅漢の石の彫り物が所狭しと並んでいる。願成就院は時政、義時、泰時によって築かれ、当時の伽藍は15世紀末の北条早雲による堀越御所(時政館)攻めの際焼失したものの、以降も北条家末裔の人々によって守られてきたようである。入口付近、柿の木の下には、北条家ゆかりの人々の墓が立ち並んでいるが、柿の実がたわわに実り、風情を醸し出していた。

御堂裏手には、昇り口近くに、八幡宮神楽殿があり、更に百段近い石段を昇ると、八幡宮本堂がある。頼朝が戦勝を祈願したとされる。