鎌倉のてんぷら『ひろみ』。熱々の厚めの白身魚、穴子が卓越。ただし、穴子が品切れということもありそうなので、落胆することにならないように注意が必要。
伊豆箱根湘南風土記(17)鎌倉 鏑木清方記念美術館
鎌倉小町通りを少し脇に入ったところに近代日本画の巨匠鏑木清方画伯の記念美術館がある。小町通りを僅かに外れるだけで街には静寂が漂っている。美術館があるのは鏑木清方画伯の終焉の地。この美術館の土地建物、作品、資料はご遺族の寄付によるものとのことである。
画伯は明治11年、神田佐久間町に生まれる。父はジャーナリストであるとともに人情本作家。画伯は13歳から水野年方に浮世絵を学ぶととともに、17歳からは父親が経営する「やまと新聞」に挿絵を描き始めた。文学、歌舞伎、オペラなどにも幅広く関心を広げ、泉鏡花や樋口一葉などの文学や庶民生活を題材に数多くの作品を残した。また、画伯は、作品の一つ一つにその作品を描いたときの心情を書き記していて、素晴らしい著作が残されている。自然や庶民の生活に対する繊細な感覚や洞察の細やかさが絵画のみならず清方の『ことば』にも現れている。美術館には、画伯自身の生涯を詳細に記した『こしかたの記』という書籍が置かれていて、大変興味を感じたので、手にはいるようであれば読んでみようと思う。
今回の展示作品では、テーマにある『早春』やアズールなどの顔料で美しく繊細に描かれた『しらうお』など、たくさんの傑作が展示されていた。
伊豆箱根湘南風土記(16)鎌倉 壽福寺
鎌倉扇ガ谷にある壽福寺を訪ねた。鎌倉五山第三位の寺とされる。北条政子が、頼朝の遺志を叶えるため、栄西を招いて1200年に建立したとされる。この地は源頼朝の父、義朝の屋敷跡であり、またその昔、源義家が奥州征伐を勝利祈願した源氏山を背にした父祖伝来の地でもあるとされる。頼朝は最初この地に鎌倉幕府を設ける考えもあったようであるが、岡崎義実が義朝の菩提を弔う御堂を建てていたので諦めたとされる。
総門から中門まで木々に囲まれた細長い石畳が続き、中門奥にある本堂が静かな佇まいを見せている。中門から境内を覗くことができるが、仏殿本堂右手に白梅が美しく咲いていた。仏殿には釈迦如来像などが祀られているとのことだが、残念ながら現在は拝観することはできない。
仏殿裏手の静かな墓地の一角には、北条政子と三代将軍実朝の墓がある。裏山の岩を切り抜いた『やぐら』と呼ばれる祠に祀られており、それぞれの祠に五輪塔が置かれている。宇宙の構成要素である空、風、火、水、地を象徴する五輪塔は、インドを発祥とし、極楽浄土への往生の意味が込められているとされ、日本では平安末期以降見られるようになったとのことである。政子、実朝の墓の近くには、高浜虚子や大仏次郎などの著名人の墓も祀られていた。
栄西は日本に初めて臨済宗を伝えた人であり、また宋から茶の苗を持ち帰り、『喫茶養生記』に茶の効用を記し、その著書を実朝に献上したとされる。
(かまくら春秋社『鎌倉の寺小辞典』参照)
池波正太郎 『真田太平記』
池波正太郎の『真田太平記』新潮文庫全12巻をようやく読了した。最も魅了された本の一つに数えられる傑作である。
昌幸、長男信之、次男幸村は、真田家が生き残るために豊臣方と徳川方に分かれたものと理解されがちであるが、この書を読んで、それぞれが各々にとっての義に生きたのだとわかる。人それぞれに定めがあるような人生の中で、それぞれが義を貫く生き方の美学を強く感じた。昌幸は、上杉景勝から受けた恩義を忘れずに徳川に抗する立場を貫いた。また、幸村は、大谷刑部の娘を嫁にしたこともあり、父昌幸と運命を共にし、父亡き後も、半ば負け戦になるとわかっていながらも豊臣方につき奮戦し、大坂夏の陣で最期を遂げた。信之は、本多平八郎忠勝の娘を嫁にして、徳川に忠誠を尽くした。さらに、滝川三九郎のような、与えられえた運命をすべて受け入れていく飄々とした生き方も大いに美しい。真田家を助ける草の者の世界も見事に描かれている。人生は誰もが死に向かって生きていくことになるが、その中で、守るべき価値を何に求めるのか、どこに見出すのかが問われる。
今月は『真田太平記』の世界にどっぷりと浸かるひと月となった。信州、関ヶ原、滋賀、京都、大坂あたりの旧跡をゆっくり辿ってみたい気分である。
News Today (2) 石油による支配
20世紀を支配したのは石油である。そして、今もなお、その支配が続く。20世紀初めに、石油はペルシャで発見された。チャーチルがこれにいち早く目をつけ、海軍のエネルギーを石油に転換。石油が、戦車や航空機に使用されるようになった。第一次世界大戦が終わり、米国において急速に車社会が発展し、石油は社会に欠かせないものとなった。ヤルタ会談後、ルーズベルトの外交がチャーチルに優った結果、米国がサウジアラビアから石油利権を獲得。その後、石油権益を目的とする米国の行動にアラブ諸国が懐疑的となり、オイルショックが勃発。その後も石油が世界の在り様を支配する社会が続く。エネルギーの石油依存度は30%と長い間変わらないという。再生エネルギーへの転換はほど遠いのではないかと悲観的な気持ちにもなる。(NHK、『映像の世紀』参照。)