Italy Assisi

イタリア、アッシジ

フィレンツェから3時間程ドライブするとオリーブ畑の続く豊かな緑野の向こうの丘の上に壮大なアッシジの聖フランチェスコ聖堂が見えてくる。

聖堂は上下2層からなり、1230年に完成した下の教会にはシモーネマルティーニ、チマブーエなどによる絵画が飾られている。1253年に完成した上の教会には有名な「小鳥に説教する聖フランチェスコ」をはじめとするジョットのフレスコ画が飾られている。一枚一枚に聖フランチェスコが生まれてからの生涯の出来事が描かれており、丁寧に見ていくと豪商の息子として生まれたフランチェスコがどのようにして聖人として生きていくことになるかがよく理解できる。

早朝教会を訪ねてみると敬虔な信者達のミサが始まっていた。後ろの隅で静かに時間を共有するのもよい。また、澄み切った青空の広がる早朝の教会前の芝生の広場に出て、教会と芝生の上の騎馬像の彫像、遠くに広がるアッシジの風景を眺めていると心の洗われる気持ちになる。

街中は坂も急な小径が続くが、しばらく行くと聖フランチェスカの生家もある。

装飾の美しい陶器のオリーブオイル差しが可愛らしいのでお土産に。

Italy Siena

イタリア、シエナを訪ねて

フィレンツェから葡萄畑の続く丘陵を抜けるとシエナに着く。

町の中心には半円形のカンポ広場。広場傍にはレンガ造りの鐘楼マンジャの塔が聳え、階段を昇ると塔の上からは赤瓦の美しいシエナの街並みや郊外に広がる緑の絨毯のような丘陵が一望できる。すぐ隣のプッブリコ宮にはシモーネマルティーニの「荘厳の聖母」やロレンツェティの「善政・悪政の効果」などシエナ派のコレクションがあり興味深い。

カンポ広場を過ぎチッタ通りを抜けペッレグリー二通りへ行くと、白と濃緑色とピンクの大理石の縞模様が美しいドゥオーモが見えてくる。正面入り口のファサードには数々の聖人像の彫刻、大きなバラ窓と3つのロマネスク様式の扉、教会内部も主祭壇に向かって白黒のストライプの柱やアーチ構造で支えられた天蓋など荘厳な空間が広がる。床には古代の物語を刻む赤みがかった大理石の象嵌も見事。しかし一番の圧巻はピッコローミニ家図書館の壁、天井一面に緻密に描かれた数々のフレスコ画である。これだけ美しく金色の装飾模様やフレスコ絵画がちりばめられた宝箱のような小部屋は世界中に類がないと感じる。また、同図書館には大きな讃美歌の楽譜集が所蔵されており、聖歌が聴こえてくる思いがした。

シエナの街の見どころとしては、他にドメニコ教会、聖カタリナの生家などがある。カテリーナは、シエナの裕福な染物屋ベニンカーサ家の子として生まれ、6歳の時、イエスキリストの幻視を受けた。主イエスが栄光のうちに教皇の祭服をまとい現れ、カテリーナに向かって十字架の祝福を授けたというカテリーナは自分の純潔をキリストへ捧げることを決め、7歳のとき聖母マリアに「私の唯一の主であるあなたの御子イエス・キリストを私にお与え下さい。私は決してほかの夫を迎えず、いつも純潔で汚れのない身を保つことを、この『御方』とあなたに誓います」と宣言した。12歳の頃、カテリーナは幻視のなかでキリストから彼女にしか見えない四つの宝石で出来た金の指輪を与えられ、「あなたの創造主であり救い主であるわたしは、あなたを『信仰』において娶る。あなたはこれを、わたしたちが天において永遠の婚礼を挙行するまで、純潔に守るがよい。娘よ、今は勇気をもって行動し、私の摂理があなたに委託する事業を恐れなく成しとげるがよい。あなたは『信仰』によって武装している。すべての敵に対して勝利を納めるであろう。」というキリストの声を聴いた。しきりに結婚を勧める母親の前で、カテリーナは長い茶髪を短く切り落とし、自分の決意の固さを表した。聖カタリナの生家にはこのカテリナの生涯の各場面を伝える絵画が飾られている。

街中にグロッタ聖カテリナというレストランがあり、ポルチーニ茸入りのパスタやリゾットなどが美味。

伊豆箱根湘南風土記(12)鎌倉 円覚寺帰源院

円覚寺帰源院

円覚寺の山門を潜って右手奥に進むと帰源院という名の塔頭がある。普段は観光客は入れないとのことであるが、と或るきっかけからこの塔頭の存在を知る機会を得た。

この帰源院にはかつて漱石が短期間ではあるが滞在し、その間に小説「門」を創作したとのことである。当時の漱石自身の心境を基に、親友に対する裏切りに悩み葛藤する青年の心情を描いた作品とされる。帰源院に至る坂道の手前に横長の手水台があり、その側面には「漱石」と記されている。夏目漱石はこの手水台に記された文字を自分のペンネームにしたと言われているようである。何気無いひっそりとした佇まいではあるが、歴史を耳にすると妙に更に詳しく知りたい気持ちに駆られる思いがした。

伊豆箱根湘南風土記(11)鎌倉 栄西の茶

栄西の茶

鎌倉にある寿福寺は源頼朝の妻北条政子の創建による寺であるが、その開山は日本に初めて臨済禅を伝えたとされる栄西である。

栄西は、宋から茶も持ち帰り、茶と桑の効用について述べた『喫茶養生記』を著し、三代将軍実朝に献上したと伝えられている。

日本の喫茶の始まりは、栄西によるものということですね。

伊豆箱根湘南風土記(10)鎌倉五名水

鎌倉五名水

水に恵まれない鎌倉にあって、質の良い清水が湧き出る泉をもって五名水とされ、新編鎌倉誌に鎌倉に五名水ありと記されている。

梶原太刀洗水、金龍水、銭洗水、日蓮乞水、不老水の5つ。梶原太刀洗水は、朝比奈切通途中にあり、梶原景時が上総介広常を謀反ありとして討ちとり、血の付いた太刀をそこで洗ったとされる。

銭洗水は銭洗弁財天宇賀福神社岩窟に湧き出る清水で、源頼朝の夢に現れたとされる。北条時頼がこの水で金銭を清めると清浄の福銭になると人々に勧めたことから、商売繁盛を願う参詣者が訪れるようになったとされる。

日蓮乞水は、名越切通を越えて鎌倉に入った日蓮が水を求めて杖を突き立てたところに泉が湧き出て、以後涸れることがなかったとされる。

不老水は建長寺境内にあったとされるが不明、金龍水は建長寺門前にあったとされるが工事で埋められて現存しない。

名水はいつの世も歴史を生み出すものであり、当時の争いや人々の思想を映し出している。