1808年5月2日、ヨーロッパ征服の野望を抱くフランス皇帝ナポレオンによって派遣された軍隊に対してスペイン民衆は蜂起して戦ったが、翌5月3日フランス軍によって鎮圧され人々は処刑された。この事件を契機にスペイン全土でフランス軍とゲリラ戦が続いたが、フランス軍はゲリラとの戦闘に疲弊し、1814年にスペイン支配を断念した。しかし、王位に復位したフェルデナンド7世は、民衆の期待を裏切って自由主義を弾圧する圧政を始めた。ゴヤは、「5月3日マドリッドの銃殺刑」により、戦争がもたらす現実を冷徹な目で描いた。そして、1824年には自由を抑圧されたスペインを離れ、ボルドーに移り住み、死ぬまで絵筆を握り続けたとのことである。プラド美術館には、Aun Aprendo(それでもわしは学ぶぞ)と記された素描が残されているとのことである。 宮廷画家としてのゴヤ、「マハ」で有名なゴヤであるが、あらためてゴヤの真の内面を理解することができたように感じた。 いつの世になっても、人と人との争いは絶えることがないのだろうか。悲しい現実である。 (参照:日経新聞2018.8.19)
自ら時を刻む
風にそよぐカーテンの向こうには緑の庭が広がっている。その時が止まったかのような静寂はまるでそのまま永遠に続くように感じられる。しかし、時の刻みは、自分とは無関係に、決められた規則どおりに進んでいる。そう思うと、時間に置いてけぼりになったような気もする。時にはそんな風に時間の流れるままに流されていくのも大事かもしれない。けれど、自ら積極的に時を刻むのも大事。何かに没頭する自分に逆に時が追いかけてくるぐらいの生き方も大切かと。何十年かの人生の間に、自らの時の刻み方ひとつでその人の人生は大きく変わってくる。年を重ねた今、自然にそんなことを感じるようになった。まだ、何年かは生き続けられるであろうことを思うと、今まで以上に自ら時の刻みを意識しながら、一日一日を大切に生きていきたいと思う。
France Tour 2018 Epernay/Strasbourg/Colmar/Dijon/Beaune/Lyon/Annecy
7月18日夕刻LOTでワルシャワからパリへ。CDG発のTGV最終便が出てしまった後なので、直接タクシーでEpernayへ。途中の沃野に広がる黄金色に輝く小麦畑が眩しい。そして、シャンパーニュの葡萄畑が続く。エペルネのホテルJean Moetに到着。日没前のエペルネの街を散策。19日早朝には、評判のパン屋Maison Dalletでパンを買い、ホテルで朝食。すぐ近くの市庁舎の建物がホテル並みに美しく、またその庭園にはダリアやペチュニアなどの花が見事に咲き誇っている。街の教会のステンドグラスも美しい。モエシャンドンを見学、試飲を楽しむ。100Km以上にも及ぶとされるセラーの回廊は圧巻。ナポレオンから贈られた大きなワイン樽も置かれていて、歴史の重みを感じさせる。
EpernayからタクシーでReimsへ。シャトーホテルLes Crayereで昼食を。広々とした緑の庭園を眺めながらゆったりとした時間を楽しむ。食後、サンレミバジリカ聖堂を訪れた後、フジタ礼拝堂へ。聖母子やキリストにまつわるフレスコ画が美しいブルーの空を背景に明るい色彩で描かれている。次いで、ノートルダム大聖堂を訪れる。工事中のため覆いに囲われた正面の入り口のわずかな隙間から微笑む天使の像を覗くことができた。じっくり眺めると他の彫像も表情が豊かである。また、内陣にあるシャガールのブルーのステンドグラスが美しい。第一次世界大戦で甚大な被害を受けた教会の記録写真が戦争の痛ましさを今に伝える。教会外にはジャンヌダルクの像が。オルレアン解放後、シャルル7世をランスで戴冠させたジャンヌダルクだが、その後ルーアンで同じシャルル7世に火刑に処せられるとは何とも哀れである。教会内にはドレスを纏ったジャンヌダルク像も。夜遅くには教会外壁一杯に映し出されるプロジェクションマッピングを楽しむことができた。
7月21日夕刻ナンシーから列車でストラスブルグに到着。宿泊先のメゾンルージュに荷物を預け、早速街中へ。まずはノートルダム大聖堂へ。外観を見た後、メゾンカメルツェルでシュクルートを食す。
7月22日は、午前中にバトラマに乗船し、イル川を周遊し街の全体像をつかむ。大聖堂付近のグルーバーでタルトフランベを食した後、ロアン宮、アルザス博物館などを見学し、プティトフランスを訪れる。ディナーはプティトフランスにある専門店でベコフを食す。ストラスブルグならではの食べ物もワインも美味である。
ストラスブルグ近郊のオークニクスブルグ城、リクヴィル、エギスハイム、コルマールを一日周遊。
オークニクスブルグ城は12世紀以来ヴォージュ山脈の要衝に築かれ、20世紀になりドイツ皇帝ウィルヘルム2世によって権力の象徴として現在の姿に復元されたという。
リクビルはワイン畑に囲まれた美しい村。エスカルゴ入りのタルトフランベと白ワインは格別。
エギスハイムも街並みの美しい村。宮崎駿のハウルの動く城もこちらの街並みをモデルにしたとされる。
コルマールも川面に映える木組みの家々が美しい街である。圧巻はウンターリンデン美術館のイーゼンハイム祭壇画とドミニカン協会のバラの茂みの聖母。
コルマールのオステルリ・ル・マレシャルに宿泊。
7月24日、コルマールからディジョンに列車で移動。駅近くのホテルに荷物を預け、散策を開始。ギヨーム門を通って街中へ。グリル&カウでブッフブルギニョンやエスカルゴを堪能。ノートルダム教会を訪れる。屋根の上からはジャックマールの鐘の音。通常のお顔とは異なる聖母マリア像。外壁には幸福のフクロウ。ブルゴーニュ大公宮殿のあるリベラシオン広場へ。宮殿も広場も、17世紀マンサールの設計。Mulot & PetitjeanのノネットとMailleのマスタードを買って、一路ボーヌへ。
ボーヌ、オテル・ル・セップに到着。夕刻の時間を使って、オスピス・ド・ボーヌ(オテル・デュー)を見学。1443年にブルゴーニュ公国宰相二コラロラン夫妻によって建てられた貧しい人々のための病院。所有する葡萄畑からとれるワインの競売収入によってまかなわれ、1971年まで続いてきた。今は病院は別の場所に移転しているとのこと。当時の病院内の様子がよくわかる。また、奥の部屋にはロジェバイデン作の「最後の審判」や蹄鉄職人の逸話を描いたタピストリーなどがある。
見学の後、ココットでムール貝とエスカルゴを堪能。
ボーヌから車で2時間ほどかけてヴェズレーを訪れる。12世紀頃の創建になる聖マドレーヌバジリカ聖堂があり、サンティゴコンポステーラへの巡礼の道の起点の一つとされる。身廊手前入口のタンパンには聖霊降臨の図。教会天井のアーチはアラビック風。柱頭には聖書の寓意を表した彫刻。奥には、マグダラのマリアの聖遺物が祀られている。丘の上に建つ教会の背後には、ヴェズレーの小さな街を囲むように豊かな丘陵が広がっている。
ヴェズレ-からボーヌに戻り、リヨンへ。
リヨン到着後、念願のポールボキューズへ。
ノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂は、ソーヌ川で囲まれたフルヴィエールの丘に聳える。聖堂内の大きな壁画や中央祭壇の天井などに金色を多く配していて、荘重な印象を与える。聖堂を少し下ると石造りの壮大なガロ・ロマン劇場がある。紀元前43年の建造で、古代ローマの勢力拡大の跡がうかがえる。丘を降りて行くと、たくさんのレストランなどが密集した旧市街に出る。ムール貝がまた食べたくなり昼食をとる。
リヨンを出発して、列車で2時間ほどでアヌシーに到着。ティウ運河沿いに旧市街の美しい街並みが続く。一つ通りを入ったセント・クレール通りは、多くの旅人達で賑わい、たくさんのレストランが連なる。ル・フレティでチーズフォンデュとタルティフレットを注文。アルプスの料理に堪能。今夜はゆったりと湖畔のインペリアルパレスに宿泊。
France Paris
フランス、ルーブルの魅力
「聖母子と聖ヨハネ」ラファエロが16世紀初め、フィレンツェ滞在中に描いた作品。ラファエロ特有のピラミッド型構図により、温かい眼差しの聖母、聖書に手を伸ばすイエス、十字架を支えるヨハネが優しく表現される中、イエス受難の予兆が示されている。
「カナの婚礼」ヴェロネーゼが16世紀後半、ヴェネチアに招聘されて描いた作品。パッラディオ建築によるサン・ジョルジュ・マッジョーレ修道院の食堂を装飾するため描かれたルーヴル一の巨大な絵。ナザレ北方にあるカナの街の結婚式に出席したイエスが葡萄酒の足りなくなった祝宴の主人のために石甕の水を葡萄酒に変えたという聖書に記された聖体の秘蹟が、当時のヴェネチアや東洋の豪華な衣装や文化を混じえながら表現されている。
「レースを編む女」フェルメールがオランダ黄金期17世紀後半に描いた作品。レースを編む女性の日常風景を描く。前景や周囲のぼやけた表現とは対照的に女性のレースを編む手元やレース糸などが精密に鮮明に描かれ、鑑賞者の視線を中央部分に集めている。女性のレモン色の衣装、編み物のパールグレイ、画面左手の紺色のクッションや白、赤の垂れ糸などの宝石のような配色、配置はゴッホをも魅了したとされる。
Belgie Wallonne
ベルギー、ワロン地方
ベルギーは大きくワロンとフランドルの二つの地域に分かれていて、政治経済も社会、文化もかなり異なっている。ワロン地方は、エノー、ブラバン・ワロン、リエージュ、ナミュール、リュクサンブールの5州からなり、フランス語を公用語としている。一方、フランドル地方は、東西フランドル、アントワープ、フラームス・ブラバント、リンブルグの5州からなり、オランダ語の方言であるフランデレン語が公用語とされている。
パリのシャルルドゴール空港から列車でブリュッセルに直行し夕刻に到着、駅前のヒルトンに一泊した後、早朝頼んでおいた日本人のガイドさんの運転でワロン地方に向かった。まずは緑深い丘陵の続くアルデンヌ地方(Ardennes)、ここには古城が点在するが、中でも庭園の美しいアンヌヴォワ城(Chateau d’Annevoie)を訪れた。18世紀の荘園領主の館とこれを囲む広大な庭園には随所に様々に趣向を凝らした噴水があり、人数も少ない早朝の時間、静かに散策を楽しむことができた。館の前の池を白鳥と鴨が気持ちよさそうに泳いでいた。また、館の庭先では孔雀が大きく美しい羽を広げていた。
この一帯にはムーズ(Meuse)川が流れている。ディナン(Dinant)の町は、このムーズ川が造った断崖の下に開けている。シタデルと呼ばれる城砦に昇ると美しいディナンの街とそこを流れるムーズ川を一望できる。サクソフォンの発明者アドルフサックスの生まれた街としても有名で、橋の両端には各国から寄贈されたのか様々なサックスが国旗とともに飾られている。橋の反対側から見ると、ムーズ川の川面に浮かぶノートルダム教会を始めとした街並みやその背後にそそり立つシタデルの断崖が初夏の陽を浴びて美しい。
ディナンの東、ウルト川渓谷の奥深くにデュルビュイ(Durbuy)がある。狭い石畳の小径沿いに石造りのかわいい小店が軒を並べる。お目当はサングリエ(Le Sanglier des Ardennes)でのランチ。ワロンの美味しいランチを楽しんだ後、ウルト川沿いの城や街並みを散策。
デュルビュイを後に、宿泊先のナミュール(Namur)に向かう。ナミュールはアルデンヌの玄関口に位置し、ムーズ渓谷に抱かれた城砦都市である。シタデルは17世紀に築城され、ルイ14世も所有していたことがあるとされる。シタデルは、サンブル川とムーズ川の合流する嘴のような頂きの上に聳え立つ。サンブル川を挟んで北側にナミュールの街が広がっている。宿は、シタデルの山の上にある古城ホテル、シャトー・ドゥ・ナミュール(Chateau de Namur)、バロック様式であろうか荘厳な館である。城砦を長い時間かけて降り、街へ出たが、途中、中腹からの街の眺めが素晴らしい。