エレガンス

脚本家大石静さんによると、フランスのエレガンスの真の意味は、自己と他人の双方に対するリスペクトにあるとのことである。フランスやイタリアを旅していると、それなりに人生を生きてきた人々の瞳や言葉、たたずまいや行動に尊厳を感じることがよくある。職業を問わず、人々は堂々としているし、自分の哲学を持ち、自身の生き方に自負や誇りをもって生きているように感じる。見事なティアラにしても、それを身に着ける人にセルフリスペクトの人生観とそれに基いた人生の積み重ねができていない人間には、ティアラは似合わない。お互いにリスペクトし合えるように、まずは自分磨きをしなければと、この年になっても感じてしまう。

骨董の魅力

フランスの蚤の市の様子を伝える番組を見たが、蚤の市には貴重な骨董がたくさん眠っているようだ。とは言っても骨董探しには、それを見出す眼力と見識が必要である。リヨンの絹織物は18世紀中頃、フランス革命前の王室によって支えられ発展し、特に王室画家フランソワ・ブシェ等の素描をモチーフにして金糸、銀糸で織られたタピストリーなどは極めて貴重なものであることを知る。また、ガラス工芸品も、エミールガレ、ドーム兄弟などのアールヌボー時代の作品、ルネ・ラリック等のアールデコ時代のオパールセントと呼ばれる技法の作品など、各時代の特徴、作風や技術の変化などを理解した上で探してみると大変面白そうである。陶器も、一概にリモージュと言っても、リモージュのカオリンは20世紀中頃には掘り尽くされてしまったため、それ以降は他の産地のカオリンが使用されているとのことであり、それ以前のリモージュに価値ありとされるようだ。また、それ以降でもル・タレックによる絵柄のパリ製のリモージュはまたそれで価値があるようである。他に、ベルナール・ヴィルモのポスターなど、骨董にも様々なジャンルがあり、それぞれに奥が深そうである。知らないことばかりだが、最近訪れたナンシーでガレやドームの作品を見てきたばかりということもあり、骨董への興味が一段と高まった。 

金継ぎ

何故今までこの金継ぎという文化に触れることがなかったのだろう。衝撃的である。わざわざ日本へ金継ぎを習いに来ているあるポーランド人のことが報道されていた。割れたり、欠けたりした器を漆で修復し、仕上げを金や銀で装飾する技術であるが、単に修復技術にとどまるのではなく、そこに新たな芸術を生み出している。ものを大切にすると同時に修復する中にまた新たな美を生み出すこの芸術の奥深さと背景にある哲学に感銘を覚えた。 

琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)

琉球王国を象徴する琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)のことを知ったのはつい最近のことである。

既に15世紀頃には存在しており、東南アジアや本土との交易の中で様々な技法を取り入れ、発展させていったとされる。江戸時代には古紅型とよばれるものが栄えたにもかかわらず、明治時代には王府廃止に伴い衰退したとされる。第二次世界大戦により焦土と化した沖縄にあって、王朝時代からの染物業の宗家である城間家、知念家などが紅型復興に努め、今日に至るとされる。

朱、黄、藍などの色の鮮やかな紋様、型染独特の風合いが美しい。もう30年以上も前のことになるが、インドネシアのバティックの美しさに感動したことがある。紅型の、特に藍色の紋様はそれにも似た風合いである。

(参照:首里琉染、wikipedia、NHKドキュメンタリー)

Batik

もう30年も前に仕事でフィリピンに住む機会があり、その頃インドネシアのバティックに触れた。女性のドレスやテーブルクロスなど、バティックの藍色の紋様を粋に感じたものである。インドネシアのバティックは、しばらく衰退していたものの、2009年にユネスコ世界無形文化遺産に登録されたこともあり、2010年代に復興したとのこと。2013年に亡くなった故ネルソンマンデラも愛好していたため、世界的にも広まったとのことである。 バティックはろうけつ染めで染められた布で、布地に蝋で模様を描き、染料や絵筆で着色する伝統的な技法で、1000年以上の歴史があるとされる。最近のバティックは自分が初めて見て感動したころの風合いとは異なるデザインのものが多いように見受けられるが、それも時代の変化を映しているのかも知れない。(参照:日経新聞2018.8.19)