鎌倉の「鉄ノ井」
鎌倉十井の一つに「鉄ノ井」(くろがねのい)と呼ばれる伝説の井戸がある。その水は涸れたことがないとされる。
多くの観光客で賑わう小町通りのはずれ、鶴岡八幡宮から見れば正面の鳥居を出て右手にある。
昔、井戸を掘った際に鉄の観音像の頭の部分が出てきたことから名づけられたと言われる。
鉄観音像は、京都清水観音を信仰していた北条政子が創建した鎌倉新清水寺(既に廃寺となっているが、現在の浄光明寺近くに所在していたとされる)に本尊として安置されていたものとされる。出てきた頭部は、江戸時代まで井戸の前にあった鉄観音堂に安置されていたが、神仏分離令により観音堂が取り壊されたため、現在は東京人形町の大観音寺の本尊となっている。
正嘉二年(1258)に安達泰盛の甘縄屋敷から出火し、 折からの南風にあおられて火は薬師堂の裏山を越えて寿福寺に燃え広がり、 総門・仏殿・庫裏・方丈など全てを焼き尽くし、さらに新清水寺・窟堂(いわやどう)とその周辺の民家、 若宮の宝物殿及び別当坊などを焼失したと吾妻鏡に記されているとのこと。この井戸から掘出された観音像の首は、 この火災のときに土中に埋めたのを掘り出したもので、頭部だけで高さは1m70cmと人の背丈と同じ大きなもので、顔の幅は50cmの菩薩型の鋳鉄製である。
小さな物語ではあるが、観音像一つにも当時の人々の信仰やら災難を偲ばせる深い歴史があるものと感動を覚える次第である。