謡曲「鉢の木」に伝わる鎌倉武士の気風
五代執権北条時頼が執権を退いた晩年に諸国を遊行したときの伝説を伝える謡曲「鉢の木」というのがある。当時の鎌倉武士の気風を伝える話として興味深いので抜き書きしてみた。
ある大雪の夕暮れ、下野国佐野荘の外れにあるあばら家に、旅の僧が現れて一夜の宿を求める。家主はそれが時頼であるとも知らず、雪道に悩む僧を見かねて招きいれ、なけなしの粟飯を出し、自分は佐野源左衛門尉常世といい、以前は三十余郷の所領を持つ身分であったが、一族に土地を奪われ落ちぶれたと身の上を語る。いろりの薪が尽きて火が消えかかったが、継ぎ足す薪も無いので秘蔵の松・梅・桜の鉢の木を持ち出し、これを薪にして、せめてものお持てなしに致しましょうと折って火にくべた。今はすべてを失った身の上だが、鎧となぎなたと馬だけは残してあり、いざ鎌倉という時には痩せ馬にまたがってでも一番に馳せ参じて戦う覚悟であると語る。
年があけて、突然鎌倉から緊急召集の触れが出た。常世も古鎧に身をかため、痩せ馬に乗って駆けつけるが、鎌倉につくと、常世は北条時頼の御前に呼び出された。諸将の居並ぶ中、破れ鎧で平伏した常世に時頼は「あの雪の夜の旅僧は、実はこの自分である。言葉に偽りなく、馳せ参じてきたことをうれしく思う」と語りかけ、あの晩の鉢の木にちなむ三箇所の領地、加賀国梅田荘、越中国桜井荘、上野国松枝荘を恩賞として与えたという話である。