浅田次郎『流人道中記』を読了。
「いいかえ、乙さん。孔夫子の生きた昔には法がなかったのさ。礼ってのは、そうした結構な時代に、ひとりひとりがみずからを律した徳目のことだ。人間が堕落して礼が廃れたから、御法ができたんだぜ。」
旗本青山玄蕃は、法に優る礼という高次の識見に立って、冤罪に抗うことなく流罪を受け入れるばかりか、「流人」としての道中においても、様々に苦しむ人々に対して人としての優しい救いの手を差し伸べていく。若侍の乙次郎ならずとも、青山玄蕃の大人としての器の大きさに圧倒されるとともに、人としての生き方についてあらためて考えさせられた。時代は変われども、社会の制度や慣例に流されてはならない。人としての道を見失うことなく、信じるままに、自らを律しながら、あるべき道を生きていける大人としての人間になりたいものである。