1225年、北条政子は頼朝の菩提寺として祇園山長楽寺を建立したが、同年死去。その後、長楽寺は鎌倉幕府滅亡とともに焼け落ち、善導寺と一つになったが、1680年に再び全焼。頼朝に仕えた田代信綱による田代寺観音堂を移設して、安養院として再建。
本堂裏手には、国宝の宝篋印塔と政子の供養塔が安置されている。
境内には、名越派開祖尊観上人お手植えの樹齢七百年の槙の巨木が枝を広げる。
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1225年、北条政子は頼朝の菩提寺として祇園山長楽寺を建立したが、同年死去。その後、長楽寺は鎌倉幕府滅亡とともに焼け落ち、善導寺と一つになったが、1680年に再び全焼。頼朝に仕えた田代信綱による田代寺観音堂を移設して、安養院として再建。
本堂裏手には、国宝の宝篋印塔と政子の供養塔が安置されている。
境内には、名越派開祖尊観上人お手植えの樹齢七百年の槙の巨木が枝を広げる。