鎌倉の東慶寺を訪ねた。駆け込み寺として知られ、かつては尼寺であった。開山は覚山尼、八代執権北条時宗の妻であり、法名は無学祖元から受けたとされる。後醍醐天皇の皇女、五世用堂尼以来栄えたとされ、墓地奥には、皇女用堂尼の墓が祀られている。用堂尼以降、松ヶ岡御所とも呼ばれ、室町時代には鎌倉尼五山第二位に列せられた。二十世天秀尼は、豊臣秀頼の娘であり、家康の娘千姫の養女でもあったので、江戸時代には徳川家の厚い庇護を受けたとされる。
境内には梅が美しく咲いていた。水月観音像の拝観は叶わなかったが、室町時代の作である本尊木造釈迦如来坐像などは拝観ができた。墓地には、高見順、和辻哲郎、田村俊子など多くの作家、学者が眠っている。
(かまくら春秋『鎌倉の寺』参照)