鎌倉扇ガ谷にある壽福寺を訪ねた。鎌倉五山第三位の寺とされる。北条政子が、頼朝の遺志を叶えるため、栄西を招いて1200年に建立したとされる。この地は源頼朝の父、義朝の屋敷跡であり、またその昔、源義家が奥州征伐を勝利祈願した源氏山を背にした父祖伝来の地でもあるとされる。頼朝は最初この地に鎌倉幕府を設ける考えもあったようであるが、岡崎義実が義朝の菩提を弔う御堂を建てていたので諦めたとされる。
総門から中門まで木々に囲まれた細長い石畳が続き、中門奥にある本堂が静かな佇まいを見せている。中門から境内を覗くことができるが、仏殿本堂右手に白梅が美しく咲いていた。仏殿には釈迦如来像などが祀られているとのことだが、残念ながら現在は拝観することはできない。
仏殿裏手の静かな墓地の一角には、北条政子と三代将軍実朝の墓がある。裏山の岩を切り抜いた『やぐら』と呼ばれる祠に祀られており、それぞれの祠に五輪塔が置かれている。宇宙の構成要素である空、風、火、水、地を象徴する五輪塔は、インドを発祥とし、極楽浄土への往生の意味が込められているとされ、日本では平安末期以降見られるようになったとのことである。政子、実朝の墓の近くには、高浜虚子や大仏次郎などの著名人の墓も祀られていた。
栄西は日本に初めて臨済宗を伝えた人であり、また宋から茶の苗を持ち帰り、『喫茶養生記』に茶の効用を記し、その著書を実朝に献上したとされる。
(かまくら春秋社『鎌倉の寺小辞典』参照)